小学5年の時、一大奮起して運動会でがんばろうと思った。それは5年生から参加が許されるマラソンであった。マラソンなら短距離と違い、スタートダッシュなど関係無い。はたで見てるとノロノロと見える。自分は片道2Kmを毎日歩いて学校まで通っている。忘れ物をすると情け容赦なく取りに帰された時に鍛 えた足ならなんとかなるだろう。
ところが大誤算があった。少しでも身を軽くしようと思い、裸足になってスタートした僕を待っていたのは砕石だらけの道だった。どんなに健脚でもこれは無理だ。走るどころではない。皆にどんどん引き離されていき、僕がゴールしたのは次の競技の途中だった。だれも僕がマラソンの最後のランナーであるなんてわからない。担任の先生がそれに気がつき、一緒に走ってゴールしてくれた。
時代は変わって中学3年。我ながら相変わらずの虚弱をなんとかしなくては・・・という思いから、毎日走り始めた。中学校までは片道約5kmを自転車で通った。まぁ常識で考えればこれだけ通学で体を使っていれば体力は自然につくようなもんだが実際にはそんな程度ではついてなかったのだ。学校から帰って毎日走り、最初は1kmぐらいから体が慣れてきたらだんだん5kmぐらいになった。
中3の時の全校マラソンはしっかり上位に入った。やっと達成感、満足感が得られた。自分で出来ないと思っていた事が努力の結果他人も認めるように出来るようになるとその達成感はすごい。長距離走はその後エスカレートし、高校では吹奏楽部に在籍しながら一般のレースで30km走ったり、陸上部に誘われたり、陸上部のチームで市内駅伝に参加し、区間賞をとったりするまでになった。
そのころ、「いはらきマラソン」を見学に行った。スタート、ゴール地点にゲストに金栗四三氏が招かれていて、運命の出会いをする。1912年のストックホルム大会に日本人初のマラソン代表選手となり、倒れるまで走り、行方不明になったという伝説の持ち主である。(オリンピックの公式記録に棄権はあっても行方不明は無く、54年後に当時のコースをゴールまで走り、公式記録の54年8ヶ月6日5時間32分20秒3はマラソンの最長記録の持ち主でもある。僕が会ったのはこの記録達成の1年後)ひとりでぶらぶらしているのを見て意を決して話しかけた。金栗先生からは根性論が聞けるという期待があったが、実際に教えてもらったのは「適時に休む」というトレーニング理論であった。練習の休み方、練習の再開のしかた、朝起きた時の心構えなど、驚くほどの合理的なトレーニング理論に感銘を受け、その考えが後にトロンボーンの練習方法に大きな影響を与えてくれた。
虚弱からの脱却という意味では十分乗り越えた僕の心の片隅には次第に、「運痴」の問題が大きくなった。体力と運動神経はイコールではないのだ。その当時まだ逆上がりはできてないし、縄跳びだって100ぐらいでひっかかる、バドミントンだって空振り、逆上がりなんてとんでもなく、相変わらずの「運痴」で あった。
そんなころ、偶然に卓球部同士のラリーを目の前で見た。まるで空中にいる間もリモコンで操作されているかのように力強くも美しい弧を描く玉すじ、授業中 にいつもふくろうのような眠そうな顔をしている友人の目が、ボールがラケットに当たる瞬間やはりふくろうの獲物を獲る時のような目でしっかり見開いて打つ 姿、勝負事ではない、ボールを打ち合うという事そのものの美しさにすっかり魅了された。
いざ自分でラケットを持ってボールを打とうとすると空振り、やっと触ったかと思うととんでもないところに飛んでいく。すっかりまいった僕は家で壁打ちならぬ、襖打ちを始めた。サーブの要領でボールを投げ上げてラケットを後ろから当てる。これには困った。ボールがかすりもしないのである。空しく下に落ちるボールを見ながら考えた。まず羽根つきの要領でコンコンと弾ませるところから。これでもある程度数打てるようになるのに数日を要した。
次に斜めに襖にぶつける。襖は適当に弾まないからちょうどよいタイミングで戻って来る。角度をだんだん横にしていき、それなりに前方に打てるようになるま で何日かかったか覚えてない。これで少しはコートに入れる事が出来るようになった。学校でちょっと上手な人と打つとボールに回転をかけられてしまった。と てもまともに返球できない。ここで卓球への夢は一度挫折する。
なぜ卓球なのか 小中高編 ― 完 ―
いざ自分でラケットを持ってボールを打とうとすると空振り、やっと触ったかと思うととんでもないところに飛んでいく。すっかりまいった僕は家で壁打ちならぬ、襖打ちを始めた。サーブの要領でボールを投げ上げてラケットを後ろから当てる。これには困った。ボールがかすりもしないのである。空しく下に落ちるボールを見ながら考えた。まず羽根つきの要領でコンコンと弾ませるところから。これでもある程度数打てるようになるのに数日を要した。
次に斜めに襖にぶつける。襖は適当に弾まないからちょうどよいタイミングで戻って来る。角度をだんだん横にしていき、それなりに前方に打てるようになるま で何日かかったか覚えてない。これで少しはコートに入れる事が出来るようになった。学校でちょっと上手な人と打つとボールに回転をかけられてしまった。と てもまともに返球できない。ここで卓球への夢は一度挫折する。
なぜ卓球なのか 小中高編 ― 完 ―