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 ※ 投稿日は実際と異なる場合があります。     

2011/08/19

11.10.08 サントリーホール25周年記念

10月8日(土)14時~16時
 サントリーホール25周年記念企画
 〈オルガンレクチャーコンサート特別企画〉
  「ウィーン音楽散歩」

 オルガン:ペーター・プラニアフスキー
 ソプラノ:光野孝子  ピアノ:樋口紀美子
 合唱:明治学院バッハ・アカデミー合唱団
 聖心女子大学グリークラブ
 管弦楽:明治学院バッハ・アカデミー合奏団
 お話:樋口隆一(指揮も)、オットー・ビーバ(通訳付)

  曲目等、詳細はこちら。

11.9.16 シュッツ《宗教合唱曲集1648》

9月16日(金) 午後6時30分〜
東京カテドラル聖マリア大聖堂 

シュッツ《宗教合唱曲集1648》を演奏します。
→詳細はこちら

2011/08/17

11.09.04 第66回 東海吹奏楽コンクール

9月4日(日)
 東海吹奏楽コンクール 大学・職場一般の部
  会場:長野県伊那文化会館

  アンサンブル・ヴィルトゥオーゾ吹奏楽団
   指揮者として東海大会に出場します。
   出番は2番、13:00演奏開始です。

2011/08/16

11.08.15知らない場所を

ジョギングするのはいろんな発見があって面白いものです。九州の若松にある「玄海青年の家」の周囲は上水、農業用水の巨大な貯水池があり、あまり車が来なくて景色が良いので快適に走れます。

2011/08/12

11.08.出没?情報

バンドジャーナル9月号
「特集」アンブッシュア大研究!!
P32~33にインタビュー記事が載っています。

2011/08/11

11.07.10台湾にて

一ヶ月遅れになってしまいましたが、7月の台湾演奏旅行での写真です。この写真は嘉義市の朝です。いかにも暑そうでしょう。このような天気の中毎朝ジョギングしました。店の看板が漢字のために使い方が違っていても何の店か分かってしまうのが面白いです。

フェスティバルには世界各国から若い吹奏楽団が参加しており、その人たちの中から合同バンド(アジア・ユース・バンド)が結成されていました。写真はアジア・ユースのメンバー、私、伊藤康英さんとの記念写真です。

僕も学生時代にスコットランドのアバーディーンで合同のオーケストラで演奏しましたが、若い時に世界中の仲間と一緒に演奏する体験は音楽家としてかけがえのない宝です。彼らはここから羽ばたいて行って欲しいです。

嘉義市の演奏会の後にはイギリスの作曲家、アダム・ゴーブさん(右から二人目)と再会しました。
これは台北の国立ホールです。超広角で撮っているために大きさがわかりにくいですが、台湾には竜宮城のような建物が多いのが面白いです。

せっかくなので一時期世界一の高さを誇った台北101に行ってきました。101とは101階の意味だそうで、高さは508mです。東芝製のエレベーターで上まであっというまに昇ってしまいました(といっても40秒)

101の内部にはTMDと呼ばれる660トンの金色の巨大な「玉」があります。風も無いのに・・・ではなく、風が吹いたらブラブラして建物のゆれを40%も押さえるそうです。
(CANON EOS 5D 16-36mm2.8L)

11.08.11 なぜ卓球なのか 大学編

 激動の入学試験を突破し、大学に入った僕は学生の質の高さに驚いた。だいたい音楽大学に入ろうとするものはそれぞれの地域では腕の立つ人ばかりである。自分が井の中の蛙である事が実感するのには1ヶ月もかからなかった。同級生の誰の演奏を聴いても自分とはかけ離れていた。ありえない事をさも当たり前のように演奏する。しかも皆、練習量が半端じゃないのだ。浪人時代に15分練習してすぐに休憩していたのだが、朝から晩まで連続して練習する人も珍しくない。
しかし練習量を増やそうとすると音色にストレスが入り、自分で納得出来ない。これを我慢して吹き続ければ耐久力は増すのか?自問自答した。大学に入っても毎日数キロ走っていたのだから体力なら天才である同級生に劣るとは考えられない。

約1ヶ月が過ぎたある日、地下のロッカールームの空きスペースに卓球台があるのに気がついた。空き時間にはほとんど誰かが卓球をしている。思い切って仲間に入れてもらう事にした。音楽大学の学生は信じられないほど運動神経の発達している人がいるもので、上手い人は本当に上手い。何のストレスも無い綺麗なフォームで優雅にボールを打つピアノ科の先輩、同じく綺麗なフォームで攻撃するピアノ科の同級生。聞けば先輩は札幌で4位になった事があったそうだ。大学まで音楽一筋で来た人はもちろん初心者だ。他にも初心者がいたおかげで僕でもとりあえず仲間になった。

すぐにぽっこん、ぽっこんというゆるいボールでのラリー が出来るようになった。上級者の打ち合いになるとカッコカッコという音になる。ちょっとした休憩時間に5分ぐらい打って、授業に出て、楽器を15分吹いて卓球5分、授業受ける。このような生活パターンが続いていくうちに当然のように少しづつ卓球が上達していった。
驚いた事に、楽器の練習がうまくいかなくて頭が飽和している時に卓球をするとすぐに頭の中の霧が晴れてくるのに気がついた。音楽大学の学生の練習は毎日、毎回自分の出来ないところを集中的に攻めるのだから毎回頭が飽和する。飽和を解くのにたった5分の卓球が役に立った。

とはいえ、卓球の腕は初心者同士のぽっこんぽっこんであった。考えたら無理も無い。じめじめしたロッカールームに置きっぱなしになって いる、ラバーが剥がれてスポンジだけになっていたり、古くてつるつるになったラバーが付いているラケットばかりだからである。
ある日上級者の使っているラケットを借りたら飛び方が全然違っていた。そこで自分のラケットを持つ事にした。とは言え、高価なラケットは買えず、割れて落ちていたラケット(ヒノキの単版はすぐに割れる)を自分で修理し、それにラバーを貼って使った。ラバーの名前は「テンペスト」なんとベートーベンのピアノの名曲の題名と同じた。メーカーはバタフライ。先輩はテンペストよりも上位に最高級の「スレイバー」というのがあると教えてくれたが、値段が高くて手が届かなかった。

きちんと飛ぶラケットを使うと今まで入ったボールが上に飛んで行って入らないという事に驚いた。どんな分野でも同じだが、変な道具を使っていると動きが必要以上に大きくなってしまう。ちょっと時間がかかったが角度を修正して順応出来た。良い道具を使うとすぐに上達するのは音楽も同じ、卓球もマイラケットでどんどん上達した。生意気にも回転をかける事も少しづつ覚えていった。   ちょっと上手い人は初心者と見るとすぐに横回転のサーブを出して右に左にレシーブが外に出るのを見て、からかった。相手の手の動きと同じにすれば返せるという事を覚えたのはこの頃だ。

ある時に古いつるつるのラバーだと相手に回転をかけられても返せる事に気が付いた。そこで古くて使い物にならなくなったラバーを裏側に張り、とりあえずそれでレシーブすれば意地悪な相手でもラリーが出来るという事が分かった。その時ラバーを表裏に貼った厚みのために皆には「ホットケーキラケット」と言われた。相手が意地悪だとこちらも意地悪になるのは自然の道理、つるつるのラバーと新しいラバーと使い分けると相手がとまどうのが分かった。
「邪道」と言われてその方法を使うのをやめた。これはその後、中国が世界を越権した作戦(ラケットの表、裏に回転、反発の全く違うラバーを貼り、くるくる回して相手を惑わして主導権を握るという作戦)の賜物であったが、それを先取りしたのであった。 

ちょうどその頃、日本で世界選手権があった。偶然見た女子選手に釘付けになった。混合ダブルスで男子の強力なスマッシュを易々と返し、チャンス ボールをスマッシュ一発でノータッチで抜き去る。後に知ったのが中国の林慧卿選手だった。その世界選手権での団体戦で林選手を破ったのが大関行恵選手である。ツッツキ(不思議な卓球用語であるが短いバックスピンの打法)の名人で当時の最高選手の林選手が首をかしげるぐらい回転の変化が強烈であった。

時期的にどちらが先か分からないが日本人同士の対決で凄まじいラリーをテレビで見た。一人はスマッシュされたボールを高くロビングを上げ、(テニスでロブと言うが守備の時に攻撃された打球を高く返球する打ち方)それをまるでバレー・ボールのアタックのようにジャンプして上から叩きつける。それを再びロビングで上げる。上げる選手がボールがインパクトするまで凝視し、まるでボクサーがパンチを食らったように顔を仰け反らしながら高く上げる。これは後で知ったが、打った方が伊藤繁雄、ロビングを上げた方が長谷川信彦選手、当時を代表する日本人の対決であった。

それらは雲の上の世界。僕が相変わらずじめじめした地下のロッカールームでぽっこんぽっこん、それでもラリーが出来る喜びに浸って、音楽と卓球の世界を行き来していた。

        なぜ卓球なのか、大学編前半 完