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 ※ 投稿日は実際と異なる場合があります。     

1975/10/15

75.12 長髪時代


父が若いときに髭を伸ばしていたという話を聞きました。それなら僕は青春の思い出に髪を伸ばそうと思いました。これは約3年目ぐらいです。もう気が済んだから切ろうと思いましたが、それからずるずると伸ばし続け、ベルトの位置まで長くなりました。
一番危険だった事は電車のドアに挟まれた事、良かった事は普段から町を歩くだけで注目されていたので舞台で緊張しなかった事です。

ビル掃除時代


 


 初めてのヨーロッパ演奏旅行の資金を稼ぐためにCBS(千代田ビルサービス株式会社)の深夜勤に入社しました。約3年間の仕事でしたが、厚生年金、健康保険もありました。 ここに移っている4人はそれぞれ楽器をやってました。左から坂本さん(Vn)磯田さん(Tp)、林さん(チェロ)今はどうしてるんでしょうね。

1975/08/15

ハンググライダー


子供の頃からの夢、「空を飛ぶ」事が実現した瞬間です。場所は穂高オリンピアスキー場です。

1975/07/15

音響学合宿

演奏家を目指してはいたが、やはり不安はありました。元々機械が好きだった事もあり、音楽音響学演習という授業を取りました。実質的に録音技術の勉強です。これはその合宿での写真です。後列左が若林駿介先生、中央が白砂昭一先生です。若林先生はブルーノ・ワルター、コロンビア交響楽団の録音助手を務め、後に東京佼成WOとフェネルとの数々の録音でもお世話になりました。録音だけでなく、人となりで大きな影響を受けました。2008年7月1日に亡くなられました。ご冥福を祈ります。(2008.09)