この言葉は本当にありがたかった。この言葉のおかげで、1年間自分のペースを守る事が出来た。だから今の僕があるといえる。
金管をまじめに勉強した人なら分かる事だが、唇の状態は刻々と変化する。9時に練習開始といっても、唇が対応できる状態とは限らない。そんな時は別の事をする。見ている人からすれば、たった数分ちょろっと音を出しただけで休憩に入り、忘れた頃にまた数分吹く。こんな姿が真面目には写らないだろう。しかし、良い状態での練習を点線で繋ぐような練習方法は劇的な進歩を産む。逆に、何か用事があったりしてまとめて何時間というように練習すると、唇のコンディ ションを無視してその日のメニューをこなすようになってしまい、プラスだけでなくマイナスの練習をも含んでしまう事になる。
僕がこのときのベストを点線で結んだ練習の1年間が、その後の長年の演奏活動の財産となっているように思う。この練習の考え方は、マラソンの金栗四三先生のマラソン練習の考え方を、トロンボーンに置き換えたものだった。
浪人中には時間に余裕があったために毎日走った。距離は少なくて5~6km、多い時は20kmにも達した。高校生でも大学生でもない立場で、「青年の部」で町の大会の5kmと10kmにエントリーし、なんと10kmの代表となってしまった。次の郡大会ではさすがに敗退してしまったが、小学校の運動会でのぶっちぎりのビリから考えたら夢のようだった。
その合間に運痴克服にも挑戦した。そのひとつは逆上がり。かつて通った小学校のグランドに走ったついでに立ち寄り、練習を始めた。
ところが低鉄棒で勢いをつけても回らない。体力はある。なぜ出来ないかとことん考えたが、どう考えても自分が出来ない要素が無かった。頭に図面を描いて分かった事は、鉄棒がお腹に当たった時、つまり体が回りこんで逆さになった時に、重心が頭の側にあるという事だった。下半身、足の方が鉄棒を超えて手前に来た時点で重ければ絶対に回るはず、と考えた。下半身が鉄棒よりも手前に来てないのは恐怖心、その時点での鉄棒の位置が足の方にある事は、腕力が原因と分析した僕は懸垂を始め、恐怖心を取り除くために前回りと逆さにぶらさがる練習を始めた。
前回りが出来ていたとはいえ、身体が地面につっこんで行くのではないかという恐怖心を除くには数が必要だった。逆上がりの途中段階、つまり足を上にして逆さにぶら下がる練習は、頭が下という感覚を養うのに役にたった。さらに、その状態で鉄棒の位置が臍よりも胸寄りに来るように、逆さでの懸垂もした。
何日も何日も、敢えて逆上がりには挑戦しないで訓練を続けた。というのは、ひとつひとつがぎりぎりの技術の要素を集めて、総合的に何かを完成させようと思うと、結局「自分は出来ないんだ」というイメージを固めてしまう。練習は必要以上にやりこんだ。
すべてが問題なく出来るようになり、いよいよ逆上がりへの挑戦だ。勢いはつけないで鉄棒に逆さにぶら下がり、まっすぐ上に伸ばした足を胸の方に折りたたみ、同時に腕の力で鉄棒を胸の方に移動(つまり身体を引き上げる)身体は何事も無かったようにあっさりと回転した。成功!!
次に高鉄棒でぶらさがった状態、静止の状態で逆さになり、懸垂。鉄棒が臍を超えるのに合わせて腰を折りたたむとこれもあっさりとクリアー!!
調子にのってその位置から反動をつけてもう1回転出来るようにまでなった。ここまでは小学生の時の運動神経の良い人でもなかなか出来なかった。
高鉄棒からグランドを見下ろし、まさに天下を取った気分であった。
なぜ卓球なのか 浪人編 ― 完 ―