2006/09/12
2006/09/01
2006.09~10 活動記録
10月30日(月) 東京佼成ウインドオーケストラ 横浜演奏会
横浜みなとみらいホール 開場18:30/開演19:00
[指揮] 三原明人
[独奏] 須川展也(Sax.)、奥山泰三(Trp.)
[曲目] P. デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」 他
10月1, 28, 29日 東京佼成ウインドオーケストラ 特別演奏会
10月11, 27日 東京佼成ウインドオーケストラ 音楽教室
(関係者のみ)
10月9日(月) 東京佼成ウインドオーケストラ 第90回 定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール 開演 14:00
指揮:渡邊 一正
曲目: H.フィルモア/J・デ・メイ:
シャウティング・ライザ・トロンボーン 他
10月2日(月) セントラル楽器 クリニック&ミニ・コンサート
横浜普門館(横浜駅 歩10分) 受付開始 17:30 講習開始 18:00
コンサート曲目:
ソナチネ/カジミエシュ・セロツキ
6つの練習曲/R.ヴォーン・ウイリアムズ
バラード/ボザ
(ピアノ:山崎早登美)
聴講料:¥1,000(税込)
9月30日(土)
混声合唱団クール・ドゥ・シャンブル 第5回定期演奏会
府中の森芸術劇場 ウィーンホール 開場17:30 開演18:00
入場料 3,500円(前売り 3,000円)
※古楽器の演奏です。
横浜みなとみらいホール 開場18:30/開演19:00
[指揮] 三原明人
[独奏] 須川展也(Sax.)、奥山泰三(Trp.)
[曲目] P. デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」 他
10月1, 28, 29日 東京佼成ウインドオーケストラ 特別演奏会
10月11, 27日 東京佼成ウインドオーケストラ 音楽教室
(関係者のみ)
10月9日(月) 東京佼成ウインドオーケストラ 第90回 定期演奏会
東京芸術劇場 大ホール 開演 14:00
指揮:渡邊 一正
曲目: H.フィルモア/J・デ・メイ:
シャウティング・ライザ・トロンボーン 他
10月2日(月) セントラル楽器 クリニック&ミニ・コンサート
横浜普門館(横浜駅 歩10分) 受付開始 17:30 講習開始 18:00
コンサート曲目:
ソナチネ/カジミエシュ・セロツキ
6つの練習曲/R.ヴォーン・ウイリアムズ
バラード/ボザ
(ピアノ:山崎早登美)
聴講料:¥1,000(税込)
9月30日(土)
混声合唱団クール・ドゥ・シャンブル 第5回定期演奏会
府中の森芸術劇場 ウィーンホール 開場17:30 開演18:00
入場料 3,500円(前売り 3,000円)
※古楽器の演奏です。
2006/08/30
06. ?. ? なぜ卓球なのか? 浪人編
大学入試に失敗した僕は浪人生活へと入る。自宅浪人を始めるにあたって、義兄が母にとくと説教したのが今でも思い出される。「お母さん、いいか、どんな小さな用事でも克己にやらせたらだめだぞ!家にいるからといってちょっとでも用事やらせたらだめだぞ!そうやって集中できなくて失敗してきた人を俺は何人も見ている!」
この言葉は本当にありがたかった。この言葉のおかげで、1年間自分のペースを守る事が出来た。だから今の僕があるといえる。
金管をまじめに勉強した人なら分かる事だが、唇の状態は刻々と変化する。9時に練習開始といっても、唇が対応できる状態とは限らない。そんな時は別の事をする。見ている人からすれば、たった数分ちょろっと音を出しただけで休憩に入り、忘れた頃にまた数分吹く。こんな姿が真面目には写らないだろう。しかし、良い状態での練習を点線で繋ぐような練習方法は劇的な進歩を産む。逆に、何か用事があったりしてまとめて何時間というように練習すると、唇のコンディ ションを無視してその日のメニューをこなすようになってしまい、プラスだけでなくマイナスの練習をも含んでしまう事になる。
僕がこのときのベストを点線で結んだ練習の1年間が、その後の長年の演奏活動の財産となっているように思う。この練習の考え方は、マラソンの金栗四三先生のマラソン練習の考え方を、トロンボーンに置き換えたものだった。
浪人中には時間に余裕があったために毎日走った。距離は少なくて5~6km、多い時は20kmにも達した。高校生でも大学生でもない立場で、「青年の部」で町の大会の5kmと10kmにエントリーし、なんと10kmの代表となってしまった。次の郡大会ではさすがに敗退してしまったが、小学校の運動会でのぶっちぎりのビリから考えたら夢のようだった。
その合間に運痴克服にも挑戦した。そのひとつは逆上がり。かつて通った小学校のグランドに走ったついでに立ち寄り、練習を始めた。
ところが低鉄棒で勢いをつけても回らない。体力はある。なぜ出来ないかとことん考えたが、どう考えても自分が出来ない要素が無かった。頭に図面を描いて分かった事は、鉄棒がお腹に当たった時、つまり体が回りこんで逆さになった時に、重心が頭の側にあるという事だった。下半身、足の方が鉄棒を超えて手前に来た時点で重ければ絶対に回るはず、と考えた。下半身が鉄棒よりも手前に来てないのは恐怖心、その時点での鉄棒の位置が足の方にある事は、腕力が原因と分析した僕は懸垂を始め、恐怖心を取り除くために前回りと逆さにぶらさがる練習を始めた。
前回りが出来ていたとはいえ、身体が地面につっこんで行くのではないかという恐怖心を除くには数が必要だった。逆上がりの途中段階、つまり足を上にして逆さにぶら下がる練習は、頭が下という感覚を養うのに役にたった。さらに、その状態で鉄棒の位置が臍よりも胸寄りに来るように、逆さでの懸垂もした。
何日も何日も、敢えて逆上がりには挑戦しないで訓練を続けた。というのは、ひとつひとつがぎりぎりの技術の要素を集めて、総合的に何かを完成させようと思うと、結局「自分は出来ないんだ」というイメージを固めてしまう。練習は必要以上にやりこんだ。
すべてが問題なく出来るようになり、いよいよ逆上がりへの挑戦だ。勢いはつけないで鉄棒に逆さにぶら下がり、まっすぐ上に伸ばした足を胸の方に折りたたみ、同時に腕の力で鉄棒を胸の方に移動(つまり身体を引き上げる)身体は何事も無かったようにあっさりと回転した。成功!!
次に高鉄棒でぶらさがった状態、静止の状態で逆さになり、懸垂。鉄棒が臍を超えるのに合わせて腰を折りたたむとこれもあっさりとクリアー!!
調子にのってその位置から反動をつけてもう1回転出来るようにまでなった。ここまでは小学生の時の運動神経の良い人でもなかなか出来なかった。
高鉄棒からグランドを見下ろし、まさに天下を取った気分であった。
なぜ卓球なのか 浪人編 ― 完 ―
この言葉は本当にありがたかった。この言葉のおかげで、1年間自分のペースを守る事が出来た。だから今の僕があるといえる。
金管をまじめに勉強した人なら分かる事だが、唇の状態は刻々と変化する。9時に練習開始といっても、唇が対応できる状態とは限らない。そんな時は別の事をする。見ている人からすれば、たった数分ちょろっと音を出しただけで休憩に入り、忘れた頃にまた数分吹く。こんな姿が真面目には写らないだろう。しかし、良い状態での練習を点線で繋ぐような練習方法は劇的な進歩を産む。逆に、何か用事があったりしてまとめて何時間というように練習すると、唇のコンディ ションを無視してその日のメニューをこなすようになってしまい、プラスだけでなくマイナスの練習をも含んでしまう事になる。
僕がこのときのベストを点線で結んだ練習の1年間が、その後の長年の演奏活動の財産となっているように思う。この練習の考え方は、マラソンの金栗四三先生のマラソン練習の考え方を、トロンボーンに置き換えたものだった。
浪人中には時間に余裕があったために毎日走った。距離は少なくて5~6km、多い時は20kmにも達した。高校生でも大学生でもない立場で、「青年の部」で町の大会の5kmと10kmにエントリーし、なんと10kmの代表となってしまった。次の郡大会ではさすがに敗退してしまったが、小学校の運動会でのぶっちぎりのビリから考えたら夢のようだった。
その合間に運痴克服にも挑戦した。そのひとつは逆上がり。かつて通った小学校のグランドに走ったついでに立ち寄り、練習を始めた。
ところが低鉄棒で勢いをつけても回らない。体力はある。なぜ出来ないかとことん考えたが、どう考えても自分が出来ない要素が無かった。頭に図面を描いて分かった事は、鉄棒がお腹に当たった時、つまり体が回りこんで逆さになった時に、重心が頭の側にあるという事だった。下半身、足の方が鉄棒を超えて手前に来た時点で重ければ絶対に回るはず、と考えた。下半身が鉄棒よりも手前に来てないのは恐怖心、その時点での鉄棒の位置が足の方にある事は、腕力が原因と分析した僕は懸垂を始め、恐怖心を取り除くために前回りと逆さにぶらさがる練習を始めた。
前回りが出来ていたとはいえ、身体が地面につっこんで行くのではないかという恐怖心を除くには数が必要だった。逆上がりの途中段階、つまり足を上にして逆さにぶら下がる練習は、頭が下という感覚を養うのに役にたった。さらに、その状態で鉄棒の位置が臍よりも胸寄りに来るように、逆さでの懸垂もした。
何日も何日も、敢えて逆上がりには挑戦しないで訓練を続けた。というのは、ひとつひとつがぎりぎりの技術の要素を集めて、総合的に何かを完成させようと思うと、結局「自分は出来ないんだ」というイメージを固めてしまう。練習は必要以上にやりこんだ。
すべてが問題なく出来るようになり、いよいよ逆上がりへの挑戦だ。勢いはつけないで鉄棒に逆さにぶら下がり、まっすぐ上に伸ばした足を胸の方に折りたたみ、同時に腕の力で鉄棒を胸の方に移動(つまり身体を引き上げる)身体は何事も無かったようにあっさりと回転した。成功!!
次に高鉄棒でぶらさがった状態、静止の状態で逆さになり、懸垂。鉄棒が臍を超えるのに合わせて腰を折りたたむとこれもあっさりとクリアー!!
調子にのってその位置から反動をつけてもう1回転出来るようにまでなった。ここまでは小学生の時の運動神経の良い人でもなかなか出来なかった。
高鉄棒からグランドを見下ろし、まさに天下を取った気分であった。
なぜ卓球なのか 浪人編 ― 完 ―
2006/08/22
06.8.22 原爆ドームを背景に
広島は自転車を使うと思ったよりも小さい町でした。駅から原爆ドームまで約20分です。平和記念公園の中も自転車だと動きやすいです。しかも広島は自転車用の区分がきちんとされていて自転車には本当に走りやすい町と言えます。
以前、夜10時ぐらいにジョギングで平和公園を走った事があります。その時の背後から巨人に睨まれ追われている感覚と違い、今回は昼間、真夏の太陽が照りつける中での自転車の移動。8月6日を連想してしまいました。
太陽が真上に近く、逆光で目を細くしてドームを見ているうちに想像力が増幅しました。数百メートル上空での核分裂の光は、はるか1億5000万キロかなたの核融合の光の何倍だったのでしょうか?思わずそのような事を考えて写真をとってしまいました。
2006/07/27
2006/07/24
2006/07/23
2006/07/20
06.7.20 親不知の旅 (新潟県)
よく生きて帰れたというのが実感出来た旅でした。
元々親不知は崖っぷちの難所でした。今回は大型トラックが狭い国道を行き交う中、数キロに渡ってトンネルを越えなくてはならなかったのです。もちろん迂回路無し。(-"-;) 『日本の道百選』なんていったって、車で身を守らないと行けない道なんて!!
ウエストンの像の前で
垂直に立った岩盤を切り開いた道で、真下は一番の難所の海岸です。
命懸けです。(ΘoΘ;)
明治時代、断崖の1枚岩を切り開いて道路が出来た当時の写真です。今は木が生い茂っていますから断崖のように感じにくくなっていますが、この切り開いた場所が自転車と断崖の写真の場所です。
親不知の真上から振り返った写真です。道路が見えますが、ここを自転車で通り抜けました。
親不知の遠景です。左の断崖の途中に見えるのがホテルで、そのすこし右に白っぽいのがちらっと見えます。そこが旧道で、自転車と断崖の写真の場所です。ウエストンの像はその間にあります。元々の難所は海岸の場所です。とても道なんて有りそうに無いのですが、昔はそこしか通り道は無かったようです。
生還して
新潟県から県を境え、ひすい海岸にたどり着きました。
海岸には翡翠の原石があるそうです。
元々親不知は崖っぷちの難所でした。今回は大型トラックが狭い国道を行き交う中、数キロに渡ってトンネルを越えなくてはならなかったのです。もちろん迂回路無し。(-"-;) 『日本の道百選』なんていったって、車で身を守らないと行けない道なんて!!
ウエストンの像の前で
垂直に立った岩盤を切り開いた道で、真下は一番の難所の海岸です。
命懸けです。(ΘoΘ;)
明治時代、断崖の1枚岩を切り開いて道路が出来た当時の写真です。今は木が生い茂っていますから断崖のように感じにくくなっていますが、この切り開いた場所が自転車と断崖の写真の場所です。
親不知の真上から振り返った写真です。道路が見えますが、ここを自転車で通り抜けました。
親不知の遠景です。左の断崖の途中に見えるのがホテルで、そのすこし右に白っぽいのがちらっと見えます。そこが旧道で、自転車と断崖の写真の場所です。ウエストンの像はその間にあります。元々の難所は海岸の場所です。とても道なんて有りそうに無いのですが、昔はそこしか通り道は無かったようです。
生還して
新潟県から県を境え、ひすい海岸にたどり着きました。
海岸には翡翠の原石があるそうです。
登録:
投稿 (Atom)













